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  • 三つの顔を持つ男長谷川海太郎
    三つの顔を持つ男長谷川海太郎

    隻眼にして隻手のニヒルなヒーロー、丹下左膳。その強烈な人物像は読者に強い印象を残し、数度にわたって映画化され、大河内傳次郎の当たり役となりました。この丹下左膳を書いた「林不忘」もまた、強烈な個性の持ち主です。彼は全く異なる三つの顔を使い分け、短い生涯を駆け抜けた一代の風雲児でした。

    三つの顔を生み出したアメリカ、ヨーロッパ遍歴

    「丹下左膳」の林不忘、「世界怪奇実話」の牧逸馬、「めりけんじゃっぷ」の谷譲次。いずれも大ヒット作を書き上げた3人の作家の正体、それが長谷川海太郎です。ジャーナリスト長谷川清の長男として生まれた海太郎は、幼いころから英会話と読書に親しんで成長し、中学(旧制。現在の高校)からは啄木に傾倒し詩作に励みます。その一方、野球の応援団長としても活躍し、5年生の時には運動部長の排斥運動の首謀者として退学処分を受けてしまうなど、血気盛んな青年でもありました。しかし海太郎はこれを機に上京、港に外国船が入ってくるのを狙って水兵たちと交流し、英会話に磨きをかけたのです。そして知人の帰国に便乗して渡米すると、ホットドッグ売りなどで生活費を得ながら数年にわたり全米を放浪しました。帰国後、この体験をもとに谷譲次として「めりけんじゃっぷ」を発表、一躍流行作家となります。その後も紀行物などを書く傍らで、林不忘として時代物や探偵小説の執筆を始め、1927年の「丹下左膳」で人気作家としての地位を不動のものとしたのです。この多忙の中、海太郎は中央公論社の特派員として、一年以上をかけヨーロッパ14カ国を歩き回り、見聞を新たにします。そこでノンフィクションの流行を目にした海太郎は、古本屋で現地の新聞や書籍を買い集め、その資料を基に今度は牧逸馬として「世界怪奇実話」の連載に取り掛かります。その中の一編、「運命のSOS」はタイタニック沈没事故の壮絶な光景を群像劇風に描き出し、大好評を博しました。ここから”SOS”という言葉は流行語となり、広く知られるようになったのです。

    林不忘と谷譲次が作り上げた第三の顔、牧逸馬

    牧逸馬の「世界怪奇実話」はノンフィクションでありながら、その語り口はドキュメンタリーというより谷譲次の探偵小説を思わせるものであり、時には林不忘の書く講談調となるなど、扱う題材によって自在に変化します。また、ここでもヨーロッパの遊歴体験が活かされ、当時の現地の空気を感じさせる表現力は見事です。第一話は謎の殺人鬼ジャック・ザ・リパーを取り扱った「女肉を料理する男」ですが、この中の果物屋のエピソードは、他の”ジャック・ザ・リパーもの”には見られないものです。海太郎が独自に入手した資料がソースとなっていることがうかがえ、その犯罪実録ものとしての質の高さは、現代でも高く評価されています。

    今も読者を魅了する「一人三人」長谷川海太郎

    三つの顔を持つ男、長谷川海太郎。その作品は現代でも形を変えつつ人を魅了し続けています。丹下左膳は今も誰もが知るヒーローです。また世界怪奇実話は、テレビ番組やオカルトサイトの密かな種本となっています。20世紀初頭を駆け抜けた「一人三人」の作家は、100年後の今日、なお新たな姿を得て輝きを放ち続けているのです。